ブラームス交響曲第4番ホ短調作品98/エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団/Victor(Melodiya)/1973年録音(ライブ)/LP
世の高評価に反して、僕はブラームスの4番はあまり好きではなかった。と同時に、世の高評価を得ているムラヴィンスキーの指揮する、例えばチャイコフスキーも、あんまりピンと来ない。
でも、このムラヴィンスキー+ブラームス4番に関しては全く違う。
「おおお!ブラームスのやりたかった事ってこういうことか!」と納得できる、会心の演奏だ。
これで僕は「ムラヴィンスキーってスゴイ指揮者だったんだ!」と初めて実感できた。
でも、実はこのライブ盤の評判も、改めていろいろ調べていくとどうも今ひとつらしい。
ユニークだがいまいちとか、薄いとか、妙な高揚感とか、あまりいい感想を聞かない。
僕の感覚とは逆のようだ。
敢えて言いたいが、ムラヴィンスキーのブラ4は、最高だ。
他の著名な指揮者、例えばカラヤンでさえ、メランコリックで散発的で、柔和すぎる。バーンスタインに至っては、申し訳ないがもはやナヨナヨしすぎて、何をかいわんやだ。もっと大御所の指揮した演奏も、ただドラマチックなだけで響いてくるものは少ない。
ブラームスの交響曲は、1番から4番まで全体的に短い休符が多くて、その後に次の展開が突如としてわーっとやってくるために、ただ聴いているといろいろ唐突な印象がある。
それをロマン派的に、逍遥や迷いや葛藤のようなものとして、テンポを変えちゃったりして弾かれると、もう何がなんだか分からなくなる。
ブラームスは、この交響曲で、明らかに集大成を成し遂げているはずだ。そこにメランコリックな迷いがあっていいはずがない。
「頼むから普通に弾いてくれ!」と叫びたくなるような演奏が多いのが、ブラ4なのだ。
「頼むから普通に弾いてくれ!」と叫びたくなるような演奏が多いのが、ブラ4なのだ。
ムラヴィンスキーは、その辺、ブラームスの意図を十二分に汲み取っているように思える。
厳格なまでにテンポをキープし、妙な抑揚をつけずに、淡々と進む。その中に時折ピークがある。
それが全体を通した時、初めて「何がそこに流れていたのか?」が分かる。
厳格なまでにテンポをキープし、妙な抑揚をつけずに、淡々と進む。その中に時折ピークがある。
それが全体を通した時、初めて「何がそこに流れていたのか?」が分かる。
筋がピンと一本、全体の流れに通った演奏だ。あっちいったりこっちいったりしない。
悲劇からの回復、決意、達観、飛翔。迷いがない。これはドラマ音楽ではなく、賛美歌なのだ。
第一楽章のシンプルで達観した情景、第二楽章や第三楽章の規律と歯切れの良さ、そして第四楽章の出だしの芯の太さ、全てがテンポ感に溢れ、それがブラームスの曲を活かしている。沈んでいながら、厳格で、淡々と孤高に向かって進んでいるような演奏こそが、この交響曲の解釈にふさわしいと思う。
Youtube
ブラ4リハ風景と解説(解釈やこの曲に対するムラヴィンスキーの思いなど)
http://youtu.be/aaqQL8poWkU
ムラヴィンスキーはとにかく厳格な指揮者で、偉大な教育者でもあったとレニングラード・フィルの団員達は証言している。
このリハ映像でも、とにかくテンポやリズム、キレに対して厳しく注文しているのが見える。
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