2014年12月13日土曜日

ヤルヴィの風景

久しぶりのオペラシティ。

12/10~14、武満ホールにてパーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルブレーメンのブラームスチクルスをやっています。4つの管弦楽曲、4つの協奏曲、4つの交響曲を4日間で時系列に。
本当は全て行きたかったのですが、まあそういう訳にも行かず、特に交響曲第2番が聴きたかったので二日目の公演に。

一曲目はハイドンの主題による変奏曲。
続いてクリスティアン・テツラフ演奏のバイオリン協奏曲。
技巧と強烈なパワー、ダイナミックさと繊細の緩急。特に第一楽章のカデンツァは非常に素晴らしいものでした。不勉強にしてオリジナルかどうか分かりませんが、サラサーテを意識したような非常に技巧的なフレーズにあふれていました。

アンコールはバッハ。
アンデルシェフスキといいテツラフといい、21世紀に入って明らかにバッハの解釈がまた新時代を迎えたのだということを印象づけてくれる演奏でした。


さて、ヤルヴィ&ドイツカンマーフィルの交響曲と言えばしばらく前にベートーヴェン交響曲第5番の冒頭の解釈が斬新で話題になりましたが、カンマー(室内楽)という名が示す通り現代のレベルでは比較的小編成のオーケストラが特徴で、やや軽くスピード感とちょっとヒップホップのようなノリもあっていかにも21世紀風。
当たり前といえば当たり前ですが、当代のクラシック音楽家は、指揮者も演奏家もみんなロックやジャズ、ソウルをクラシックと同じように聴いて育っているし、かなり詳しい人も多く、カンマーフィルの演奏家やヤルヴィにもそのバックグラウンドはしっかり出ています。

音楽におけるタイム感ビート感というのは我々の世代が音楽に対して持っている共意識の一つで、これをなくしては音楽が成立しないという時代であることは間違いありません。
クラシックもそれと無縁ではいられないわけで、やはりカラヤン以前と以降では違うし、最近の演奏家はさらにそのリズム感覚は卓越してきています(bpmが正確なビートを刻むという意味ではありません、念のため)。


今回のブラームスも聞き覚えのある重厚で気難しさの漂うのとはちょっとまた違う、スピードとビートにあふれたものでした。
もちろん美しく繊細な情緒性により磨きがかかっていました。

しかしその他に、特に交響曲の中にものすごく何かを言いたげな感じがありました。
言葉にするのはとてもむずかしいのですが、ある風景が何度も何度も繰り返し出てくるのです。
普段CDなどで他のブラ2を聴けば、当たり前の解釈としてブラームスがこの曲を作曲した南オーストリアの湖畔をイメージできます。
木々や草花の囁きや鳥の声、そして風の音、水の匂い。

ヤルヴィの解釈はとても厳密で考証性の高い演奏が特徴です。
しかしなぜかその「南オーストリア」がほとんど出てこなかった。
その代わりにベルルーシやウクライナの草原のような、広くて明るいがなぜか物悲しい光景が広がったのです。

彼はエストニア生まれ、ソ連時代のエストニアの音楽学校を出た後、アメリカのカーティス音楽院やバーンスタインの元で修行していますが……。
ヤルヴィとオケの面々の脳裏に、言葉にならないメッセージとウクライナの平原の原風景が広がっているのを感じたのは僕だけでしょうか。

もう一つ気になったのは、三〜四楽章あたりになるとどことなくマーラー的な狂騒に似た雰囲気すら感じられる箇所がいくつかあったという点です。
もちろんこれは僕にとっては好印象です。
その時代の新しい音楽とは何だったのか、それをブラームスを通じて現代的に我々に伝えてくれるものでした。
もちろんもしもベートーヴェンがこの演奏を聴いたとしても、やはり前衛的だと感じたでしょうし、そしてブラームス自身ベートーヴェンを敬愛しながらも新時代の旗手としてその古典主義的な枠からどうにか抜けだそうとしてもがいていた痕跡を彷彿とさせるものでした。

ヤルヴィの解釈は本当に面白いです。


演奏曲目

12/11[木]19:00

ブラームス:
  • ハイドンの主題による変奏曲 op.56a 
  • ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.77 
    (ヴァイオリン:クリスティアン・テツラフ)
  • 交響曲第2番 ニ長調 op.73 



[ソリストアンコール]クリスティアン・テツラフ(Vn)
・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005より「ラルゴ」

[オーケストラアンコール]
・ブラームス:ハンガリー舞曲 第3番 ヘ長調
・ブラームス:ハンガリー舞曲 第5番 ト短調

2014年7月10日木曜日

David Bowie / DiamondDogs(1974)




バタバタしてて、しばらくレコードから遠ざかってました。
 新しい作品の下地処理をしながらなに聴こうと思って出てきたのがこのアルバム。
アメリカンな時代のボウイです。あんまり好きでないですが、久しぶりに聴いてみたら、なんか出だしの感じが90年代のOutSideと似てるゾ…いや逆だ、と思ったボウイ節。(2014/4/7FBにて)

 RebelRebel

マークボラン風味の小ヒット曲。

2014年3月1日土曜日

David Bowie / The man who sold the world (世界を売った男) (1971)




前作スペースオディティの2年後に出たアルバム。ヒットしたにも関わらず後年発売のベスト盤にはほとんど一曲も収録されていません。(辛うじて表題曲のみ、21世紀になって再評価されてからはあるようです)
内容的にドラッグによる幻覚やバッドトリップの表現が多いせいもあるかもしれませんが、キャッチーな曲が少ないアルバムです。

一方ではジャケットのセンセーショナルな事件やそれに伴うバージョンも手伝って今でもマニア受けしていて、中古LPはとんでもない価格になっています。

ボウイにとってドラッグに耽溺していた過去はアメリカでの時期も含め相当触れたくない部分のようです。
が同時にドラッグなしに彼の初期の音楽的トライアルや個性を語ることも出来ないのではないかと僕は思っています。

にしてもこのアルバムは全体的に音的に本人自身が咀嚼出来てないと感じる部分が多く、聴きどころはそう多くはありません。良くも悪くも当時のロックシーンの典型的な様式です。

表題曲の世界を売った男は例外でリフが印象的な良い曲です。
ニルヴァーナがカバーしたりしています。
The Man Who Sold The World
http://youtu.be/ZM0e1m9T9HQ
2000年頃のライブ

2014年2月26日水曜日

David Bowie / Space Oddity (1969)






デヴィッド・ボウイ初期の曲で絶対に欠かせない一曲があります。1969年にヒットした「Space Oddity」。
80年代に日本で初めて出版されたデヴィッド・ボウイの歌詞集のタイトルにもなっていました。


スペース・オディティは、宇宙船のトム少佐と地上管制塔とのやりとりが歌になっています。トム少佐は宇宙船から宇宙遊泳に出て、そのまま宇宙空間に消えて帰らぬ人となります。まるでゼロ・グラヴィティのマットコワルスキーのような話です。

虚無感と浮遊感、哀しみとあっけらかんとした楽観が同居していて本当に不思議な曲です。ボウイを代表する曲の一つで、スペースシャトルで歌われたりと今だに時々世界のどこかで話題となる曲です。イギリス発売とヒットの時期はアポロ11号月面着陸と完全に被っています。

アルバム自体はボブ・ディランの強い影響や自己の60年代の鳴かず飛ばずの時代の曲調を引きずっていてお世辞にも名盤とは言い難いところもありますが、この表題曲に限っては、キング・クリムゾン以前にエピタフのようなメロトロンアレンジを使ったり(スペース・オディティのほうが数ヶ月早い)、後のクイーンのロックオペラのような構成を持っていてとても斬新な曲です。デヴィッド・ボウイの世界を確立した記念すべき曲です。

この12年後に、ボウイはアルバム「スケアリー・モンスターズ」のAshes to Ashesという曲で「トム少佐はジャンキーだったのさ」と、まるでスペースオデティを丸ごと否定するような歌詞を披露しているのも有名な話です。

それにしても初期の彼の曲にはコックニー訛りがあちこちに出てきます。しかもいつもではなく時々。わざと?

Space oddity


2014年2月21日金曜日

David Bowie / The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars(屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群)(1972)



前期デヴィッドボウイの名作。

すごいアルバム名(特に邦題)ですが、要するに、火星から来たジギースターダストは、デヴィッドボウイ自身のこと。スパイダーズは、彼のバックバンドの事です。
(火星からなのは蜘蛛の群だけでなく屈折した星屑も...しかし蜘蛛の群て…)

この頃のデヴィッドボウイは、火星から来たことになってました。このアルバム発表のツアー向けのキャラクターです。
その後2〜3年で彼はそれを撤回しますが、ファンはそうは受け取りませんでした。
僕の記憶では1980年頃までは確かに火星人だったはずです。その後地球に帰化してセリアズ少佐になります。

このアルバムのサウンドを一言で表すと、音楽のデパート。
モチーフ、パッセージ、エフェクトに至るまで当時のイギリス音楽の最新モードで埋め尽くされています。

自身のソウルやR&Bの素地はもちろん、当時のジョンレノン、ボブディラン、ローリングストーンズらの影響を強く受け、マークボランやエルトンジョン、その他プログレのグループとパラレルに新しい音楽の次元を作っています。

しかし後に出てくるクイーン、イエスやジェネシス、パンク〜ニューウェーブまで継ぎ目なく繋げてしまってるのは、ボウイだけでは?
そう感じさせるほどに縦横無尽にパッセージやビートが踊ります。

聴けば聴くほど深いところに入り込み、忘れられなくなるアルバムです。

Starman(TV Live)
http://youtu.be/4B5zmDz4vR4

この曲を知らなくても人生のどこかで一度は耳にし、そしてたった一度だけで忘れることのできないサビのメロディです。

2014年2月11日火曜日

David Bowie/Scary Monsters (1980)



歴史上イギリスが生んだセンスの中で、ダンディズム、モッズ、キャンピズムは世界中にかなり大きな影響を与えました。
キャンピズムとは聞きなれないかもしれませんが…。

例えばそれはドラァグスタイルとも混同されることもありますが、要するに中性的であることをより前面に押し出したファッションや生き方、在り方、簡単に乱暴に言ってしまえばそう言うものです。日本では例えば美輪明宏、近年ならGACKTなどビジュアル系の人々がそうです。

このスタイルはロックの世界ではマークボランを始めとするグラムロックで顕在化し、デヴィッドボウイが「カッコいいもの」として完成させたといっても過言ではないように思います。

デヴィッドボウイの影響でイギリスの音楽シーンはその後キャンプなスタイルや歌い方が主流となり、Roxy music 、JAPAN、Culture club、デュランデュラン、スパンダーバレエなど多くのニューウェイブ(ニューロマンティック)アーティストが続きました。

特に日本ではもともと歌舞伎などにも見られるように中性的な男性像は割と普遍的であり、衆道や陰間といった男色文化もあり抵抗なく受け入れられました。

しかし世界的に見るとキャンプは、そのスタイルやキャラクターがしばしばステレオタイプ化しがちで、その多くはパーツ化するか、加齢や社会との関わりの中で捨て去るか、セクシャルマイノリティのテーマなどと絡んでその行き場を失ってしまったりと、あまり幸せなスタイルとはいい難い部分もあります。

その辺をデヴィッドボウイがどう処理しかいくぐってきたのかは様々な人が分析しているので省略しますが、一つだけはっきりしているのは、デビットボウイほど声色を使い分けるボーカリストも珍しいという事実、そしてそのことが彼のキャンピズムやバイセクシャルについての大きな揺れ幅から来ているという点です。

僕が把握できるだけでも4つないしは5つの発声法を持っており、それぞれ意識的に使い分けています。

彼の歌詞の世界、メロディの世界と同様に、声の世界は聴くものに強いイマジネーションを掻き立てさせます。
Scary Monstersはデヴィッドボウイ第一期最後のアルバムです。このアルバムを最後に移籍しますが、充実感、完成度ともにゴールと言っていいものだと思います。

声色によるバージョン違いを堪能することができます。
It's no game part 1
http://youtu.be/E6hEcDt8HZI
It's no game part 2
http://youtu.be/GJtPHlEQ-uU

フェイムを超える名曲。ボウイ特有の一流のファンクです
Fashion
http://youtu.be/GA27aQZCQMk

ヒットシングル(英国1位)。後年のライブ映像です
Ashes to Ashes
http://youtu.be/3gk1DcFz-Uc

2014年2月9日日曜日

David Bowie / Lodger (1979)




デヴィッドボウイは、1970年代の後半を西ベルリンで暮らしました。思想的側面、依存症の治療、音楽的側面などいろんな理由が憶測として挙げられていますが、出てきた音楽に大きな影響を与えたことは明らかです。
そしてベルリン時代の最後のアルバムが「Lodger(間借人)」。象徴的なタイトルです。

このアルバムの特筆すべき点は何と言っても、ギタリストとしてなんとエイドリアンブリューを迎えていることでしょう。

エイドリアンブリューは、非常に個性的な(というより変態的な)ギターを弾き、バンドのサウンドがすっかりブリュー色に染まってしまうほどです。このアルバムでも世界観のイニシアチブをかなり強く握っています。
この後彼はキングクリムゾンの再結成に参加し、メインボーカル兼リードギターとして活躍します。ロバートフリップ、ブライアンイーノ、エイドリアンブリュー…。この辺はトーキングヘッズとも絡んでいろいろあります。

そんな背景もあってこのアルバムはミュージシャンズミュージックというか、オタク的というか、言いようのない浮遊感、味わいがあります。
アフリカンビートや原始的ラップ、アラビア音楽、シナスケール、スカビートなどを積極的に多用し、ワールドミュージック的な要素が散りばめられています。
当時は音楽の主役がパンクからニューウェイブに代わりつつある頃で、様々な音楽的実験はどんな音楽家にとっても避けては通れないものでした。
この感覚は、日本のバンドで言えば、あがた森魚やYMOの面々、ヒカシュー、ローザルクセンブルグ、ボガンボスといった世界に通じるものがあります。

初期のボウイは、どちらかというとアメリカのR&Bやソウルのイギリス白人的解釈に首までどっぷりハマっていたのですが、このアルバムでは完全に払拭され、80年代に大ブレイクするあのボウイサウンドの土台がここに出てきます。

それらはB面に集約されて出てきます。ベルリン前回2作のような陰鬱さからは完全に解き放たれ、自己肯定と、開放的で明るく、ポップでスタイリッシュな雰囲気が漂います。
「コスモポリタン」というアイデンティティを彼はついに掴んだ感じがします。

Boys keep swinging
http://youtu.be/UMhFyWEMlD4

2014年2月7日金曜日

David Bowie / HEROES (1977)



デヴィッドボウイの最高傑作と云われるアルバムです
前作に続いて参加のブライアンイーノに加えて、キングクリムゾンのロバートフリップをギターに迎えています。

完成度が高く、それまでの彼の玉石混淆していたアルバムとは完全に一線を画しています。
ベルリン3部作と言われ、前作と同様半数がインストルメンタルですが、ブライアンイーノのカラーが薄まり、ボウイのアンビエントに対する咀嚼が深まったことを感じさせます。
ボーカル曲とインスト曲に統一感が生まれ、トータルアルバムのようになっています。
全ての曲がパワフルで精神の深い所に突き刺さる何かを持っています。

僕もデヴィッドボウイの中で最も聴き込んだアルバムです
特にJoe the Lionは一時はロバートフリップのリフパートをほぼコピーするまで聴きました。ロバートフリップのギターは独特のオープンチューニングで弾くためにものすごくめんどくさいのですが、ポジションを殆ど動かさずにあれほど荒々しいリフを弾く彼の奏法は、聴いている時よりも弾きながら感動し、たくさん影響を受けました。



Joe the Lion
http://youtu.be/mvstpQGjPPc
最初のガッガッガッというギターがロバートフリップ。最初は違和感だらけなのにいつの間にかハマって行く魔法のリフです。同じフレーズを繰り返しているようで繰り返してません。
後のLIVEでもこれをフリップよりカッコ良くアレンジ出来てるギタリストはたぶん一人もいない。

Heroes
http://youtu.be/YYjBQKIOb-w
たぶん2000年前後のLIVE。
彼の代表曲の一つ。ペシミスティックな曲なのですが、それでも希望に美学を見出そうとするボウイ独特の世界観が存分に表現された曲です。
面白いのは、Live映像では歌詞がオリジナルと変わって2番から歌っていることです。いくつかバージョンがあるみたいなのですが、「イルカのように泳げたらなあ」という3番の歌詞から始まるバージョンもあります。時代と共に替えているのかなあ。

2014年2月2日日曜日

David Bowie / Low (1977)


 ベルリン三部作と呼ばれるアルバムの1枚目です。
アンビエントミュージックの大家ブライアン・イーノとの共作です。

1970年代後半、デビッド・ボウイが西ベルリンに住み、半分もしくはほぼ全編歌なしのアルバムを出していたことは、雑誌や友人(の兄達)のレコードを通じて中学生の少年もなんとか知っていました。

その頃の記憶を辿って行くと、確かボウイは「歌詞は無意味だと気づいたからやめたんだ」と言っていたような気がします。
とは言え本当に歌詞が無意味だと思っていたようには思えません。

後年(80年代)彼の詩集(歌詞集)を読んでいて、ふと歌詞の世界観がガラリと変わる地点がありました。韻や言葉遊びに耽ったり読んでる方をケムにまくような歌詞が減ってストレートに訴えてくる歌詞が増えてきます。
それがちょうどこのLowやHeroesの頃でした。

それにしてもLowは歌のないアルバムです。
B面はイーノとの共作だなあと感じさせる曲が多く、インストルメンタルとしてしっかり成立しているのですが、A面は明らかに「ボーカルトラックだけ消えている」としか思えない曲だらけで、当時も今も聴く度もぞもぞ妙な気持ちになります。
当時の彼の体調(離脱症状で極限状態だったと云われる)にも関係しているのかもしれません。

ちょうどロックに目覚める頃、民放のFMも開局されていなかった田舎に住む少年たちにとって、音楽の情報源はNHKFMとAMの深夜放送と雑誌と2コ上ぐらいの先輩達の根拠のよく分からない評判だけが頼りでした。

雑誌は主に「Young Guitar」と創刊されたばかりの「ロッキンf」(中学生にはまだ少々ドギツイ雑誌だった)。「Player」や渋谷陽一御大主宰の「Rockin'on」もありましたが難解でした。

そんな乏しい情報量でグラムロックといって咄嗟に出てくるのはデヴィット・ボウイとなぜかアリス・クーパー。そして誰もが聴いたことがあるのはデヴィッド・ボウイだけでした。
我々の興味の中心はまずはビートルズ、そしてストーンズ、女の子はKISSにベイ・シティ・ローラーズ、少しませた子はロッド・スチュアートのお尻。ラジオ小僧はスティービーワンダーにABBAにヴィレッジ・ピープル。
ギター小僧はディープ・パープルとジェフ・ベック、不良少年はセックス・ピストルズを知りザ・クラッシュに大いなるシンパシーを感じており、デヴィッド・ボウイは聴いてもよくワカランというのが大方の評価でした。

今振り返れば、デヴィッド・ボウイがソウルやR&Bの影響から遂に独立し、アーティストへの分岐点となるアルバムであることには間違いありません。特にB面(8曲目)は今でも新鮮です。

WARSZAWA(Live)
http://youtu.be/j9rELaQztqk
ブライアン・イーノとの共作の成果が最も強く出ている曲
なんと1978年の東京公演の映像です。こんなのも上がってるんですねえYouTube。ものすごい時代だなあ

2014年1月21日火曜日

David Bowie / 'hours... (1999)



デヴィッド・ボウイが、久しぶりにヒットチャートにカムバックしたアルバム。
それまで活動していなかったわけでもアルバムが売れてなかったわけでもないのですが、シングル(Thursday's child)が日本の洋楽チャートでベスト10インしたのは、おそらく1984年のBlue Jean以来な気がします(1993年のBlack tie white noiseのJump they sayに記憶もあるのでもしかすると勘違いかもしれませんが)

いずれにしても日本ではこのアルバムからの「Thursday's child」が、デヴィッドボウイを久しぶりに頻繁にPVの中で見る姿となり、年月の経過に感慨深けなファンも多かったのでした。

アルバムジャケットは昔懐かしいレンチキュラー写真(ホログラム)になっていて、ボウイの手が動いたりします。意味はよくわかりません。

「Thursday's child」(PV)
http://youtu.be/8S227FFNwl8

2014年1月19日日曜日

David Bowie / Reality (2003)


Heathenから1年ちょっとで出たアルバム。
この頃アメリカは暗かった。
デヴィッドボウイのこの続けざまに出された2枚のアルバムも、その暗いアメリカをテーマに作られたようなところがあって、でも本作はさらに内省的というか、アメリカンなシンプルとは常に一線を引いた俯瞰的なデヴィッドボウイの世界観が本領発揮、曲によってはちょっと70年代のベルリン時代っぽい感じのもあります。


New Killer Star(Live)
http://youtu.be/8d-4-ySCiv0
アルバムの1曲目。日本で言えば六本木ヒルズの毛利庭園あたりでライブしてる感じかなあ…いやもう少しオフィシャルか。丸ビルの裏手とか。ほぼ10年前の映像。

2014年1月18日土曜日

David Bowie/Heathen(2002)



もしコピーバンドをやっていたら、絶対このHeathenから半分以上はピックアップしてると思います。ロックしてる!カッコいい!そして歌詞が素晴らしい!

デヴィッド・ボウイとの出会いはとあるバンドでHeroesやJoe the Lionのロバート・フリップの様に弾いてくれと依頼されて聴き込んだのがきっかけです。
それまでチャイナ・ガールとかレッツダンスとかFAME以外これっぽっちも聴いたことがなくて、正直ギターソロもないし声はヒョロヒョロだしよくわかんなかったのですが、ロバート・フリップは好きだったしその荒々しいギターのニュアンスを真似しているうちに少しずつハマっていきました。

デヴィッド・ボウイは歌詞を理解して聴く音楽だと思います。
歌詞の世界の深遠さ、芸術性はちょっと言葉に表せない。
自分が歌詞作りで悩んでた時期に出会いたかったなあと思います。

このアルバムの中のAfraidという小品は、一見なんてことのない若者特有の不安について歌ってるように見えますが、よく読んでいくとリアルタイムのデヴィッド・ボウイ自身、あるいは似たような年頃の中年の内省的な言葉じゃないかと薄々わかってくる。そういう歌詞に、今だにたくさん出会える(リアルタイムで活躍している往年の)アーティストです。
…いやあ、もうそれ以前にむちゃくちゃカッコいい!ロックバンドとして!


Afraid (ライブ)
http://youtu.be/QKxcpuOhVl0

「アフレイド」
もっと頭が良かったらいいのに
僕は海辺で途方にくれた
もっと背が高かったら良かったのに
それは本当に僕にとって大切なこと

でも僕は未来に向かっている
孤独じゃないと信じてる
ビートルズを信じてる
僕の小さな魂が成長したと信じてる
そして僕は今でも怖がってる
そう、今だに怖いんだ

一人でいることが怖いんだ
一人で生きていくことが

何が僕の人生を素晴らしくしてくれるのか?
何が僕を嫌な気分にさせるのか?

僕はかつて大きな海の上で目が覚めた
雲の上を歩いたものだ

もし僕が薬を信じることができたなら
もし僕が作り笑いができるなら
もし僕がテレビに出られたら
もし誰もいない通りを歩けたら
僕は怖がらないんだろう
そう、怖くない
怖がらない
決して


2014年1月15日水曜日

チャイコフスキーピアノ協奏曲第一番/ウラジミル・アシュケナージ/ロリン・マゼール指揮ロンドン響(1963)/ LP




超有名な冒頭の管による主題から始まる雄大でエネルギーに溢れたピアノコンチェルト。
クラシックファンやピアニストにとっては割と有名な録音で、若きアシュケナージと野心溢れるマゼールによる、現代のピアニストと聴き比べても全く遜色ないモダンで粒の揃った美しい演奏です。
再プレスやCD化はもちろん今だにSACDでも復刻版が出ています。

アシュケナージはこの時26歳でチャイコフスキーコンクールの覇者になったばかりです。なのにこの曲を苦手としていたらしく、これ以降録音は見当たりません。それでもってその後しばらくして彼は指揮者として有名になります。YouTubeでも彼のチャイコは探せないのが残念です。

若い亡命前のアシュケナージのテクニックと表現力は本当に度肝を抜かれるというか、なんでこれで苦手だったんだろう?というような素晴らしい演奏です。
特に第三楽章の畳み掛けは彼の得意とするショパンやラフマニノフに通じる技巧と迫力の両方を併せ持った希有な演奏です。


チャイコフスキー・コンクール(1962)の時の演奏(3楽章)
http://youtu.be/k9eMRuDIR5E

キーシンと小澤の1995年の演奏(全楽章)
http://youtu.be/OnWDTqJCXhw

チャイコフスキーバイオリン協奏曲

チャイコフスキー/バイオリン協奏曲/ユリアフィッシャー&ロシア国立管弦楽団(2006)

チャイコフスキーはおしなべて、その旋律も彼の感受性もどこか「乙女」のにおいがする。


なんだけど、聴く姿を想像出来るのはグラマラスで経験豊かな女性。そのギャップは一体どこからくるのだろう。


メランコリックで、劇的で視覚的。喜怒哀楽。純化された人生の記憶。

ユリアフィッシャーの演奏がそうさせるのか、技巧の披露を超えたところにある彼女の表現力。



天才ハイフェッツ先生の演奏↓
欲しいなあこのレコード
http://youtu.be/KimuMGtYQFY

2014年1月14日火曜日

マーラー9番雑感

マーラー9番を聴く度に思うのは、後半よりむしろ前半の方が陰鬱としてくるということ。特に第1楽章。第4楽章が死に至る云々という解説解釈が当たり前になっているが、むしろ僕は第4楽章には清々しささえ感じる。

マーラーのやっかいなところは、全てのフレーズにおいてマーラーの明確な意識化された意図が入っているということ。しかも本人はそれについて殆ど言及などしていない。「音楽で判断しろ」というのみ。説明がないにもかかわらず、解釈には正解がある(と作曲家本人は主張する)。もはや深層心理の謎解きの世界だ。マーラーの音楽を感情移入して聴くのが難しい原因はその辺にあるような気がする。まさに彼と全く同じ感情と心理状態にならないと分からない世界がある。

メンタリティがマーラーと全く違う指揮者、例えばクナッパーツブッシュやカラヤン(晩年はバーンスタインへの対抗か少しやったが解釈はメタメタだ)が、全くマーラーを演奏しなかったのと対照的に、「同じ民族として」「他人とは思えない」と言ったバーンスタインは、ユダヤ人指揮者として生涯をかけて演奏した。

一方ではマーラーはワグナー作品の指揮者の第一人者でもある。興味深い対比だ。

僕は個人的にはマーラーが「ユダヤ人」としての括りのメンタリティで交響曲を作曲していたことなど殆どないか、ごく限られた時期にあったに過ぎないと思っている。

むしろ彼はかなりのコスモポリタンであったように思う。国家や宗教、民族というアイデンティというのは、一見重要で強固で根の深いものののように思えるが、実はそのナンセンスを彼はいつも哂っている気がする。

仮にマーラーが差別故にコスモポリタンにならざるを得なかったとしても、マーラーがその時代にコスモポリタンとそて生きたことはとても重要だ。クリムトやピカソなど、全ての芸術家がコスモポリタンであることを要求される時代を作ったとさえ言える。

20世紀初頭の芸術はすべからく民族性や国家、伝統というものを超越したところに立って始まっている。それは政治や民衆が民族主義や国家主義に染まってゆくのとは対照的に。

そういう視点で、デカダンに、コスモポリタニズム的にマーラーを聴くと、なんとなく見えてくるもの「も」ある。
(FB2012.9.7)