2014年1月15日水曜日

チャイコフスキーピアノ協奏曲第一番/ウラジミル・アシュケナージ/ロリン・マゼール指揮ロンドン響(1963)/ LP




超有名な冒頭の管による主題から始まる雄大でエネルギーに溢れたピアノコンチェルト。
クラシックファンやピアニストにとっては割と有名な録音で、若きアシュケナージと野心溢れるマゼールによる、現代のピアニストと聴き比べても全く遜色ないモダンで粒の揃った美しい演奏です。
再プレスやCD化はもちろん今だにSACDでも復刻版が出ています。

アシュケナージはこの時26歳でチャイコフスキーコンクールの覇者になったばかりです。なのにこの曲を苦手としていたらしく、これ以降録音は見当たりません。それでもってその後しばらくして彼は指揮者として有名になります。YouTubeでも彼のチャイコは探せないのが残念です。

若い亡命前のアシュケナージのテクニックと表現力は本当に度肝を抜かれるというか、なんでこれで苦手だったんだろう?というような素晴らしい演奏です。
特に第三楽章の畳み掛けは彼の得意とするショパンやラフマニノフに通じる技巧と迫力の両方を併せ持った希有な演奏です。


チャイコフスキー・コンクール(1962)の時の演奏(3楽章)
http://youtu.be/k9eMRuDIR5E

キーシンと小澤の1995年の演奏(全楽章)
http://youtu.be/OnWDTqJCXhw

チャイコフスキーバイオリン協奏曲

チャイコフスキー/バイオリン協奏曲/ユリアフィッシャー&ロシア国立管弦楽団(2006)

チャイコフスキーはおしなべて、その旋律も彼の感受性もどこか「乙女」のにおいがする。


なんだけど、聴く姿を想像出来るのはグラマラスで経験豊かな女性。そのギャップは一体どこからくるのだろう。


メランコリックで、劇的で視覚的。喜怒哀楽。純化された人生の記憶。

ユリアフィッシャーの演奏がそうさせるのか、技巧の披露を超えたところにある彼女の表現力。



天才ハイフェッツ先生の演奏↓
欲しいなあこのレコード
http://youtu.be/KimuMGtYQFY

2014年1月14日火曜日

マーラー9番雑感

マーラー9番を聴く度に思うのは、後半よりむしろ前半の方が陰鬱としてくるということ。特に第1楽章。第4楽章が死に至る云々という解説解釈が当たり前になっているが、むしろ僕は第4楽章には清々しささえ感じる。

マーラーのやっかいなところは、全てのフレーズにおいてマーラーの明確な意識化された意図が入っているということ。しかも本人はそれについて殆ど言及などしていない。「音楽で判断しろ」というのみ。説明がないにもかかわらず、解釈には正解がある(と作曲家本人は主張する)。もはや深層心理の謎解きの世界だ。マーラーの音楽を感情移入して聴くのが難しい原因はその辺にあるような気がする。まさに彼と全く同じ感情と心理状態にならないと分からない世界がある。

メンタリティがマーラーと全く違う指揮者、例えばクナッパーツブッシュやカラヤン(晩年はバーンスタインへの対抗か少しやったが解釈はメタメタだ)が、全くマーラーを演奏しなかったのと対照的に、「同じ民族として」「他人とは思えない」と言ったバーンスタインは、ユダヤ人指揮者として生涯をかけて演奏した。

一方ではマーラーはワグナー作品の指揮者の第一人者でもある。興味深い対比だ。

僕は個人的にはマーラーが「ユダヤ人」としての括りのメンタリティで交響曲を作曲していたことなど殆どないか、ごく限られた時期にあったに過ぎないと思っている。

むしろ彼はかなりのコスモポリタンであったように思う。国家や宗教、民族というアイデンティというのは、一見重要で強固で根の深いものののように思えるが、実はそのナンセンスを彼はいつも哂っている気がする。

仮にマーラーが差別故にコスモポリタンにならざるを得なかったとしても、マーラーがその時代にコスモポリタンとそて生きたことはとても重要だ。クリムトやピカソなど、全ての芸術家がコスモポリタンであることを要求される時代を作ったとさえ言える。

20世紀初頭の芸術はすべからく民族性や国家、伝統というものを超越したところに立って始まっている。それは政治や民衆が民族主義や国家主義に染まってゆくのとは対照的に。

そういう視点で、デカダンに、コスモポリタニズム的にマーラーを聴くと、なんとなく見えてくるもの「も」ある。
(FB2012.9.7)

2013年12月20日金曜日

David bowie / The next day (2013)



ファンの層が「やっぱりデヴィッドボウイはLPで聴きたい!」みたいなスノッブでロートルばかりということを見越してか何なのか、ニューアルバムはLPとCDのセットで発売、2013年のアナログレコード売り上げNo.1を記録しちゃったそうです。

CDにアナログレコードがボーナスで付いてくるのではなく、あくまでアナログがメイン、CDが付録、アナログジャケットに無造作にCDがまるでコピーしたCD-ROMのように入ってるだけという、ナンダコレ梱包。

アナログレコードの方は、ロック/ポップのレコードにあるまじき贅沢さで、まず盤質が180g重量盤、そして一面当たり平均4曲(15分程度)という、これは全盛期のクラシックレコードでもなかなかやらない音質追求型、マニアックすぎ。

昔の曲のリマスター愛聴盤とかじゃない、新譜です。

そんな贅沢仕様に負けない…というか、それを裏付けるというか、音楽の質も図抜けています。
最初iTunesで購入したのですが、これはネットで一曲幾らで買えていい音楽ではない、一曲たりとも取りこぼせないこんな素晴らしい音楽が、ゴミと同じに扱われる現代の音楽産業の悲哀を感じたものです。

だからこそ余計に重量盤の重みを有難く感じるのですが、うーん、これもやっぱりロートルなのかなあ。
いい絵にいい額縁が必要なように、いい音楽にもいい額縁が必要だと思うんだけど。

それにしてもデヴィッドボウイほど年齢と共に音楽が熟成されてカッコ良さとか深みが増して来るロックアーティストも珍しいと思います。
「Hours」以降のボウイはほんとに大好きです。
こんなじじーになりたい!

Where are we now?
(ベーシストにトニーレビン)
http://youtu.be/Hiz2w_GrgaM

2013年2月11日月曜日

ブルックナー交響曲第8番(クレンペラー指揮)


ブルックナー交響曲第8番・オットー・クレンペラー指揮・ニューフィルハーモニー管弦楽団(1970)


またブル8です。
よく飽きないなあと自分でも思います。

あ、ちなみにブル8というのは、ブルックナーの交響曲第8番という意味です。
ブルックナーは、全部で10曲の交響曲を作っています。
この8番は、彼の交響曲の最高傑作と言われています。

今朝、聴くものがないなあと思いながら棚をぼんやり見つめていて「あれ?クレンペラー指揮のブル8だ!」って。。。
存在をすっかり忘れてました。
この人の指揮の演奏はちょっと独特です。
ベートーヴェンにしてもマーラーにしても。

最近は、棚に入ってるLPやCDを把握しきれなくなってきてます。
ロックやジャズはそれでもなんとなく覚えてるんだけど、クラシックはもうかなりダメです。

大した数ではないのです。
ちゃんと数えた訳ではないのですが全部かき集めても1000枚はないと思います。

…たぶん。
いや、あるのかな…。

データベースで管理しようとしてはいるのですが、半分も登録できてません。
こうして写真撮ってネットにアップするのにも疲れてきました。

2013年1月14日月曜日

Sorcerer/Mils Davis(1967)


Sorcerer/Mils Davis(1967)

NEFERTITIの前に出た、1960年代マイルス第二黄金期クインテット四部作のひとつ。このアルバムをマイルスの頂点と見なす人も多く、マイルスとその仲間たちはこの辺で完全にJAZZという括りを超えちゃってます。

このアルバムに関して何が凄いかというと、どこからどう聴いてもインプロ(即興)ありきの曲だろうという曲が、実は厳密なスコアがあって、全パートのフレーズを譜面化しながらレコーディングしたという話。本当か伝説か…もちろんアドリブも残されているようですが、どこからどこまでがアドリブかはもはや判別できません。
完全に「再生芸術」を目指した現代音楽と化しています。

確かにジャズならではのダイナミックなスリルは失われているところもありますが、その分ものすごく知的で、奥の深い演奏になってます。まるでバルトークを聴いてるような錯覚にさえ陥るのです。

いわゆるビバップをJAZZと思って聴きたい人にはあんまりおすすめできるアルバムとは言えませんが、正直に言って、マイルスと共に50年代のハード・バップ期を過ごしてきた他のJAZZミュージシャン達の、同時期(60年代後期)の演奏には結構聴くに耐えないものも多く、どれだけマイルスが研究と実験を重ねて進化してきたミュージシャンなのかを改めて思い知らされる一枚です。

しかし聴いていても容易に想像はつくのですが、マイルスとその仲間たちはこのあと本当にやることがなくなってしまい、NEFERTITIを最後に解散してしまいます。

Sorcerer
http://youtu.be/z-sMwUiZxVo


2013年1月2日水曜日

NEFERTITI/MilesDavis(1967)





2013年の最初に聴くレコードを何にしようか迷って、クラシックではなくJAZZ、マイルス・デイヴィスにすることにしました。

「JAZZを聴こう!」と思い立ってからかれこれ10数年が経とうとしています。
未だにJAZZを理解して聴いているとは言えません。
理由のの一つは、JAZZの典型的な形態である「ビバップ」スタイルにシンパシーがないからだと思います。
原曲が分からないほど崩してしまったり、ソロのたびに拍手をしたり、よく分からない世界です。

それでも、マイルスに関しては彼の演奏を何度も聴き返しているうちに、段々彼が他のJAZZミュージシャンとは全く違う構造と特徴を持つ音楽家であることが理解できるようになってきました。


だからマイルスは大好きです。
もしもJAZZ=マイルスなら、僕はjAZZを理解して聴いている事になると思います。
現時点での僕の理解は、モダンジャズは「マイルスと、それ以外」です。
でも他とマイルスがどう違うのか?と聞かれると、分からないんだなあ。

「NEFERTITI」は1967年に発表された、マイルスとその仲間たちの黄金期の最後のアルバムです。
それまでのジャズのお決まりだったコード進行によるハードバップから解放され、インプロヴィゼイション(即興)によるフレーズの重なりで音楽を作るモード・ジャズを確立したマイルスが最終的にたどり着いた境地は、厳密な演奏進行をキープしながらノーコードでインプロヴァイズしてゆくという、並大抵のミュージシャンが到達することのできない世界でした。

毎日聴けるほど馴染みやすくはないのですが、音楽の進化としてはある種完璧なものを感じます。
このアルバムを最後に彼の黄金期のクインテットは解散し、それぞれがソロで大活躍を始めます。
同時に、いわゆる我々が普通の感覚で「JAZZ」と呼ぶ音楽が最先端だった時代が終焉し、フュージョンやクロスオーバーという音楽ジャンルに移行し、より洗練された新しい音楽が生まれていきます。マイルスにとってもこのアルバムがアコースティックの楽器だけで録音した最後のアルバムになりました。


Nefertiti
Youtubeのmp3ではかなり音がしょぼくなって情報しか伝わって来ませんが、レコードやCDで聴くと天才ミュージシャン達の気迫がビシビシと伝わってきます。この曲はこのアルバムの一曲目ですが、アルバムを聴き進めて行くと、実はこの曲は小手調べに過ぎなかった事に気づくことになります。
http://youtu.be/NcRg-duiWgQ