G.Ph.テレマン/水の音楽(Wassermusik -Hamburger Ebb und Fluht)他/バーゼル・スコラ・カントールム合奏団/アルヒーヴ/1961年録音/LP
J.S.BACHと並んで好きでよく聴くドイツバロックの作曲家にテレマンがいる。
テレマンが活躍していた当時は、バッハやハイドンよりもテレマンの方が人気があったそうだ。
しかし、死後忘れ去られそうになっていたバッハをメンデルスゾーンが発掘し、一躍大作曲家として歴史に名を残したのとは対照的に、テレマンは次第に人々から忘れ去られてゆく。
19世紀にはほぼ人々の記憶から消えていたそうだ。20世紀に入り、研究家達の手で再び発掘がされ、第二次世界大戦後、テレマンは本格的に脚光を浴びるようになった。
ドイツのバロック音楽というのは、一種変態趣味のようなところがあると思う。
もしもバロックを「耳に心地良い」音楽として楽しむなら本家本元のイタリアンバロックを聴いた方がずっと楽しい。それはまるでテーブルワインと新鮮なチーズのように気軽だ。
それに比べてドイツの音楽はどうもいつもライ麦臭さと出来損ないのビールのような分かりにくさがつきまとう。
実際のところ、彼らが活躍した時代は宗教大全盛の時代であり、バッハもテレマンもいわゆるドイツプロテスタントの要請によって生計を立てていた職業音楽師である。
そういう国のそういう時代の彼らの音楽を宗教的背景なしに聴きこむのは正直言って難がある。難どころか、半分も理解できないことさえある。
僕自身は、キリスト教や聖書に関して無知とは言えない程度の知識や見解は持ってはいるけれども、やはり日本人、東洋人という立場にあって、真に彼らの時代的メンタリティに肉薄することはほぼ不可能といって良いと思う。
けれども、音楽というものを俯瞰して、ロックやジャズ、そして古典派ロマン派以降のクラシック音楽の方からバロックを眺めてみると、実はドイツバロックも、イタリアンバロックに負けず劣らず、普遍的で人間臭い、人の喜怒哀楽の最も敏感な部分に訴えかける音楽であることに気がつく。
最初のライ麦臭さ、教会カンタータの表向きの顔に隠されている裏を覗いてみることさえできれば、実はイタリアンバロックよりもむしろドイツバロックの方がずっと人間的で懐が深い味わいを持っているということが分かる。
バッハには、簡単に時代を超越してしまうようなところがある。ずっと後輩であるベートーベンやマーラーやショパンを凌駕する程の斬新さを、今でも持つ。
それと比較すると、テレマンは斬新さはやや落ちる。けれどもその分、音楽の「純粋な芸術性」がもてはやされ始める直前の時代において、「耳に心地よいもの」と「芸術性」の十字路を整備して、後輩にバトンを渡してくれた功績は大きいと思う。
Youtube ハンブルグの潮の満干序曲
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