12/10~14、武満ホールにてパーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルブレーメンのブラームスチクルスをやっています。4つの管弦楽曲、4つの協奏曲、4つの交響曲を4日間で時系列に。
本当は全て行きたかったのですが、まあそういう訳にも行かず、特に交響曲第2番が聴きたかったので二日目の公演に。
一曲目はハイドンの主題による変奏曲。
続いてクリスティアン・テツラフ演奏のバイオリン協奏曲。
技巧と強烈なパワー、ダイナミックさと繊細の緩急。特に第一楽章のカデンツァは非常に素晴らしいものでした。不勉強にしてオリジナルかどうか分かりませんが、サラサーテを意識したような非常に技巧的なフレーズにあふれていました。
アンコールはバッハ。
アンデルシェフスキといいテツラフといい、21世紀に入って明らかにバッハの解釈がまた新時代を迎えたのだということを印象づけてくれる演奏でした。
さて、ヤルヴィ&ドイツカンマーフィルの交響曲と言えばしばらく前にベートーヴェン交響曲第5番の冒頭の解釈が斬新で話題になりましたが、カンマー(室内楽)という名が示す通り現代のレベルでは比較的小編成のオーケストラが特徴で、やや軽くスピード感とちょっとヒップホップのようなノリもあっていかにも21世紀風。
当たり前といえば当たり前ですが、当代のクラシック音楽家は、指揮者も演奏家もみんなロックやジャズ、ソウルをクラシックと同じように聴いて育っているし、かなり詳しい人も多く、カンマーフィルの演奏家やヤルヴィにもそのバックグラウンドはしっかり出ています。
音楽におけるタイム感ビート感というのは我々の世代が音楽に対して持っている共意識の一つで、これをなくしては音楽が成立しないという時代であることは間違いありません。
クラシックもそれと無縁ではいられないわけで、やはりカラヤン以前と以降では違うし、最近の演奏家はさらにそのリズム感覚は卓越してきています(bpmが正確なビートを刻むという意味ではありません、念のため)。
今回のブラームスも聞き覚えのある重厚で気難しさの漂うのとはちょっとまた違う、スピードとビートにあふれたものでした。
もちろん美しく繊細な情緒性により磨きがかかっていました。
しかしその他に、特に交響曲の中にものすごく何かを言いたげな感じがありました。
言葉にするのはとてもむずかしいのですが、ある風景が何度も何度も繰り返し出てくるのです。
普段CDなどで他のブラ2を聴けば、当たり前の解釈としてブラームスがこの曲を作曲した南オーストリアの湖畔をイメージできます。
木々や草花の囁きや鳥の声、そして風の音、水の匂い。
ヤルヴィの解釈はとても厳密で考証性の高い演奏が特徴です。
しかしなぜかその「南オーストリア」がほとんど出てこなかった。
その代わりにベルルーシやウクライナの草原のような、広くて明るいがなぜか物悲しい光景が広がったのです。
彼はエストニア生まれ、ソ連時代のエストニアの音楽学校を出た後、アメリカのカーティス音楽院やバーンスタインの元で修行していますが……。
ヤルヴィとオケの面々の脳裏に、言葉にならないメッセージとウクライナの平原の原風景が広がっているのを感じたのは僕だけでしょうか。
もう一つ気になったのは、三〜四楽章あたりになるとどことなくマーラー的な狂騒に似た雰囲気すら感じられる箇所がいくつかあったという点です。
もちろんこれは僕にとっては好印象です。
その時代の新しい音楽とは何だったのか、それをブラームスを通じて現代的に我々に伝えてくれるものでした。
もちろんもしもベートーヴェンがこの演奏を聴いたとしても、やはり前衛的だと感じたでしょうし、そしてブラームス自身ベートーヴェンを敬愛しながらも新時代の旗手としてその古典主義的な枠からどうにか抜けだそうとしてもがいていた痕跡を彷彿とさせるものでした。
ヤルヴィの解釈は本当に面白いです。
演奏曲目
12/11[木]19:00
ブラームス:
- ハイドンの主題による変奏曲 op.56a
- ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.77
(ヴァイオリン:クリスティアン・テツラフ) - 交響曲第2番 ニ長調 op.73
[ソリストアンコール]クリスティアン・テツラフ(Vn)
・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005より「ラルゴ」
[オーケストラアンコール]
・ブラームス:ハンガリー舞曲 第3番 ヘ長調
・ブラームス:ハンガリー舞曲 第5番 ト短調