2016年1月21日木曜日

BlackStar 歌詞(意訳) David Bowie

BlackStar by David Bowie

君の目に見えているのは
「兆し」という村
広場の真ん中
ぽつんと蝋燭
広場の真ん中

「処刑」の日
女達がひざまづき微笑む

「兆し」という村
広場の真中
ぽつんと蝋燭
広場の真ん中

(間奏)

男が死んだその時に
魂が昇り踊りだす
誰かが彼に乗り移り
雄叫びが

「わたしはブラックスター、わたしはブラックスター」

また堕天使か?
またホラか嘘?
そいつは踏み込み周りに叫ぶ
「わたしはブラックスター、わたしはブラックスター、ギャングスターではない」

わたしは問いには答えない(わたしはブラックスターである)
わたしとともに来るがいい(わたしは銀幕のスターではない)
家に連れて帰ろう(わたしはブラックスターである)
さあ通行証と靴を(わたしはポップスターではない)
鎮静剤もか フン(わたしはブラックスターである)
おまえは一瞬の輝きである(わたしは不思議の星ではない)
わたしは偉大である(わたしはブラックスターである)

富を手に入れゲームに勝った
真理を見据え悟りを開く
鷹を夢見て、目には金剛石
「わたしはブラックスター、わたしはブラックスター」


男が死んだその時に
魂が昇り踊りだす
誰かが彼に乗り移り
雄叫びが
「わたしはブラックスター、わたしは星の中の星」


わたしは問いには答えない(わたしはブラックスターである)
だが特別教えてやろう(わたしは銀幕のスターではない)
我々は逆子として(わたしは星の中の星)
間違った場所に産み落とされたのだ(わたしはホワイトスターではない)
わたしはブラックスターである
ギャングスターではない
ポルノスターでもない
憂いのスターでもない

わたしはブラックスターである

君の目に見えているのは
「兆し」という村
広場の真中
ぽつんと蝋燭
「処刑」の日
女達がひざまづき微笑む
君の目に見えているもの


(意訳:by ChihiroSATO)



2016年1月15日金曜日

I can't give everything Away 歌詞(意訳) David Bowie

I can't give everything Away

けっこう間違いをしでかした
放蕩息子の心臓が
鼓動をやめてしまったら
知らせの手紙は花で飾って
スカルの靴も忘れずに

何もかもおいて行くことはできないんだ
I can't give everything Away

知ろうとすればするほどに
感じることができなくなる
ノーと言っているけれど
本当はイエスという意味
これが今まで言いたかったこと
僕からのメッセージ

何もかもおいて行くことはできないんだ
I can't give everything Away
何もかもおいて行くことはできないんだ
I can't give everything Away

けっこう間違いをしでかした
放蕩息子の心臓が
鼓動をやめてしまったら
知らせの手紙は花で飾って
スカルの靴も忘れずに

何もかもおいて行くことはできないんだ
I can't give everything Away
 
意訳 by ChihiroSATO


ラザロ 歌詞(意訳) DavidBowie

ラザロ

見よここは天国だ
見えないけれど傷を負い
真似できない人生を手に入れた

みんなが僕を知っている

見よ僕はもう危ない
失うものは何もない
気分は良いし頭も回る
携帯電話を落としてしまった
これってまるで僕みたい

ニューヨークに来て
王様のように暮らしてた
それから金を使い切り
君のケツを追いかけた

この道しかない
僕は自由になるんだね
あの青い鳥のように
これってまるで僕みたい

僕は自由になるんだよ
あの青い鳥のように
僕は自由になるんだよ
これってまるで僕みたい

(意訳 by ChihiroSATO)


2014年12月13日土曜日

ヤルヴィの風景

久しぶりのオペラシティ。

12/10~14、武満ホールにてパーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルブレーメンのブラームスチクルスをやっています。4つの管弦楽曲、4つの協奏曲、4つの交響曲を4日間で時系列に。
本当は全て行きたかったのですが、まあそういう訳にも行かず、特に交響曲第2番が聴きたかったので二日目の公演に。

一曲目はハイドンの主題による変奏曲。
続いてクリスティアン・テツラフ演奏のバイオリン協奏曲。
技巧と強烈なパワー、ダイナミックさと繊細の緩急。特に第一楽章のカデンツァは非常に素晴らしいものでした。不勉強にしてオリジナルかどうか分かりませんが、サラサーテを意識したような非常に技巧的なフレーズにあふれていました。

アンコールはバッハ。
アンデルシェフスキといいテツラフといい、21世紀に入って明らかにバッハの解釈がまた新時代を迎えたのだということを印象づけてくれる演奏でした。


さて、ヤルヴィ&ドイツカンマーフィルの交響曲と言えばしばらく前にベートーヴェン交響曲第5番の冒頭の解釈が斬新で話題になりましたが、カンマー(室内楽)という名が示す通り現代のレベルでは比較的小編成のオーケストラが特徴で、やや軽くスピード感とちょっとヒップホップのようなノリもあっていかにも21世紀風。
当たり前といえば当たり前ですが、当代のクラシック音楽家は、指揮者も演奏家もみんなロックやジャズ、ソウルをクラシックと同じように聴いて育っているし、かなり詳しい人も多く、カンマーフィルの演奏家やヤルヴィにもそのバックグラウンドはしっかり出ています。

音楽におけるタイム感ビート感というのは我々の世代が音楽に対して持っている共意識の一つで、これをなくしては音楽が成立しないという時代であることは間違いありません。
クラシックもそれと無縁ではいられないわけで、やはりカラヤン以前と以降では違うし、最近の演奏家はさらにそのリズム感覚は卓越してきています(bpmが正確なビートを刻むという意味ではありません、念のため)。


今回のブラームスも聞き覚えのある重厚で気難しさの漂うのとはちょっとまた違う、スピードとビートにあふれたものでした。
もちろん美しく繊細な情緒性により磨きがかかっていました。

しかしその他に、特に交響曲の中にものすごく何かを言いたげな感じがありました。
言葉にするのはとてもむずかしいのですが、ある風景が何度も何度も繰り返し出てくるのです。
普段CDなどで他のブラ2を聴けば、当たり前の解釈としてブラームスがこの曲を作曲した南オーストリアの湖畔をイメージできます。
木々や草花の囁きや鳥の声、そして風の音、水の匂い。

ヤルヴィの解釈はとても厳密で考証性の高い演奏が特徴です。
しかしなぜかその「南オーストリア」がほとんど出てこなかった。
その代わりにベルルーシやウクライナの草原のような、広くて明るいがなぜか物悲しい光景が広がったのです。

彼はエストニア生まれ、ソ連時代のエストニアの音楽学校を出た後、アメリカのカーティス音楽院やバーンスタインの元で修行していますが……。
ヤルヴィとオケの面々の脳裏に、言葉にならないメッセージとウクライナの平原の原風景が広がっているのを感じたのは僕だけでしょうか。

もう一つ気になったのは、三〜四楽章あたりになるとどことなくマーラー的な狂騒に似た雰囲気すら感じられる箇所がいくつかあったという点です。
もちろんこれは僕にとっては好印象です。
その時代の新しい音楽とは何だったのか、それをブラームスを通じて現代的に我々に伝えてくれるものでした。
もちろんもしもベートーヴェンがこの演奏を聴いたとしても、やはり前衛的だと感じたでしょうし、そしてブラームス自身ベートーヴェンを敬愛しながらも新時代の旗手としてその古典主義的な枠からどうにか抜けだそうとしてもがいていた痕跡を彷彿とさせるものでした。

ヤルヴィの解釈は本当に面白いです。


演奏曲目

12/11[木]19:00

ブラームス:
  • ハイドンの主題による変奏曲 op.56a 
  • ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.77 
    (ヴァイオリン:クリスティアン・テツラフ)
  • 交響曲第2番 ニ長調 op.73 



[ソリストアンコール]クリスティアン・テツラフ(Vn)
・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005より「ラルゴ」

[オーケストラアンコール]
・ブラームス:ハンガリー舞曲 第3番 ヘ長調
・ブラームス:ハンガリー舞曲 第5番 ト短調

2014年7月10日木曜日

David Bowie / DiamondDogs(1974)




バタバタしてて、しばらくレコードから遠ざかってました。
 新しい作品の下地処理をしながらなに聴こうと思って出てきたのがこのアルバム。
アメリカンな時代のボウイです。あんまり好きでないですが、久しぶりに聴いてみたら、なんか出だしの感じが90年代のOutSideと似てるゾ…いや逆だ、と思ったボウイ節。(2014/4/7FBにて)

 RebelRebel

マークボラン風味の小ヒット曲。

2014年3月1日土曜日

David Bowie / The man who sold the world (世界を売った男) (1971)




前作スペースオディティの2年後に出たアルバム。ヒットしたにも関わらず後年発売のベスト盤にはほとんど一曲も収録されていません。(辛うじて表題曲のみ、21世紀になって再評価されてからはあるようです)
内容的にドラッグによる幻覚やバッドトリップの表現が多いせいもあるかもしれませんが、キャッチーな曲が少ないアルバムです。

一方ではジャケットのセンセーショナルな事件やそれに伴うバージョンも手伝って今でもマニア受けしていて、中古LPはとんでもない価格になっています。

ボウイにとってドラッグに耽溺していた過去はアメリカでの時期も含め相当触れたくない部分のようです。
が同時にドラッグなしに彼の初期の音楽的トライアルや個性を語ることも出来ないのではないかと僕は思っています。

にしてもこのアルバムは全体的に音的に本人自身が咀嚼出来てないと感じる部分が多く、聴きどころはそう多くはありません。良くも悪くも当時のロックシーンの典型的な様式です。

表題曲の世界を売った男は例外でリフが印象的な良い曲です。
ニルヴァーナがカバーしたりしています。
The Man Who Sold The World
http://youtu.be/ZM0e1m9T9HQ
2000年頃のライブ

2014年2月26日水曜日

David Bowie / Space Oddity (1969)






デヴィッド・ボウイ初期の曲で絶対に欠かせない一曲があります。1969年にヒットした「Space Oddity」。
80年代に日本で初めて出版されたデヴィッド・ボウイの歌詞集のタイトルにもなっていました。


スペース・オディティは、宇宙船のトム少佐と地上管制塔とのやりとりが歌になっています。トム少佐は宇宙船から宇宙遊泳に出て、そのまま宇宙空間に消えて帰らぬ人となります。まるでゼロ・グラヴィティのマットコワルスキーのような話です。

虚無感と浮遊感、哀しみとあっけらかんとした楽観が同居していて本当に不思議な曲です。ボウイを代表する曲の一つで、スペースシャトルで歌われたりと今だに時々世界のどこかで話題となる曲です。イギリス発売とヒットの時期はアポロ11号月面着陸と完全に被っています。

アルバム自体はボブ・ディランの強い影響や自己の60年代の鳴かず飛ばずの時代の曲調を引きずっていてお世辞にも名盤とは言い難いところもありますが、この表題曲に限っては、キング・クリムゾン以前にエピタフのようなメロトロンアレンジを使ったり(スペース・オディティのほうが数ヶ月早い)、後のクイーンのロックオペラのような構成を持っていてとても斬新な曲です。デヴィッド・ボウイの世界を確立した記念すべき曲です。

この12年後に、ボウイはアルバム「スケアリー・モンスターズ」のAshes to Ashesという曲で「トム少佐はジャンキーだったのさ」と、まるでスペースオデティを丸ごと否定するような歌詞を披露しているのも有名な話です。

それにしても初期の彼の曲にはコックニー訛りがあちこちに出てきます。しかもいつもではなく時々。わざと?

Space oddity